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保持演目

塩払い​

祭典の祓いの儀と同意でこの神楽殿を始め神楽団員、観覧者共に祓い清めて只今より神楽舞を滞りなく繰り展げる儀式舞です。氏子の人々が秋の収穫に当たってこれを氏神様へ報告し感謝し、そして神慮を慰める一種の神聖な儀式なのです。またあらゆる舞法が取り入れられてあり神楽の基本的性格を持つものされています。

 

第三子、弟である須佐之男命の悪行に大御心を悩まされた天照大御神は天の岩戸に御隠れになり、すると世の中は常闇となり、災いが起こり始めました。そこで、高天原(たかまがはら)の八百万の神々は再び大神にお出ましいただくため、天安河原に集まり相談をしました。
鈿女命が舞い踊り、賑やかに神々が楽しむ様子を不思議に思われた大神は、岩屋を少し開けられます。これを待ち構えていた手力男命が大岩を押し開き、神々は大神をお迎えし、天に地に光が戻ったという物語です。

天の岩戸

一条天皇の御代、丹波の国大江山に酒呑童子という悪鬼が多くの手下を従えて立てこもり、都はもとより付近の村里に出没して良民を苦しめるので、時の帝は武勇の誉れ高い源頼光に悪鬼退治を命じたのです。頼光は石清水八幡宮から神酒と神剣を授かり、四天王を従え山伏修験者に変じて大江山に向かいます。ついに童子の岩屋にたどり着いた一行は、言葉巧みに童子に神酒をふるまい鬼たちが酔い伏して眠った所を、忍ばせていた刀で切りかかり、大激戦の末見事大悪鬼を打ち取るという物語です。

 

大江山

素戔男神が庶民の悩みであった悪疫の流行を防ぐために、大疫神を打ち除き、人心が安定したという物語です。
 素戔男神が左手に茅の輪・右手に矛を持って舞い、魔術で身を隠している大疫神の姿が、茅の輪を通してみれば見えるということから「茅の輪をくぐれば疫病にならない」ということで、今でも茅の輪くぐりの行事があります。

 

鐘馗

須佐之王命が出雲国に天下ったとき、嘆き悲しむ脚名槌、手名槌の夫婦と奇稲田姫)に出会う。
脚名槌は簸川の川上に千町万町の田畑を作り、
娘を八人持っていたが、その姫のうち七人まで八岐大蛇に呑みとられ、この残った姫も呑みとられるときとなり、嘆き悲しんでいると告げる。
それを聞いた素浅鳴命は、姫を嫁にさせれば大蛇を退治すると答え、脚名槌はそれに応じる。
そして八つの酒桶を並べ、その上に姫を立たせて大蛇を待つ。
やがて黒雲とともに八岐大蛇が現れ、姫が写った酒をことごとく呑み干し、酔いつぶれたところを、素浅鳴命が宝剣を持ってこれを退治する。
最後に大蛇の尾をさくと、中から剣が現れたので、これを「天羣雲剣」と名づけ日の神に捧げ奉った。
後、この剣は天草薙剣と名を改める
 

 

八岐大蛇

人皇第14代仲哀天皇の御代、新羅国より日本征伐を企てて数万の軍勢が攻めてきた。
 その中に塵倫という身に翼があり、黒雲に乗って虚空を自由に飛び回る神通自在の大将軍がおり、国々村里を荒らし、多くの人民を滅ぼしていた。我が国にはこの大悪鬼にかなう者なく、そこで天皇は自ら討伐に向かわれ、従者高麻呂に警護させていたところ、六日目に塵倫が襲ってきた旨を奏したので、天皇は天照大神の御神徳と弓矢の威徳をもって塵倫に立ち向かった。
 激しい戦いの末、天皇の射た矢が命中し、塵倫は雲の彼方へ落ちてゆき、数万の敵は退散したという物語です

塵倫

 筑紫豊前国の八幡神が異国から攻めてきた醜を退治するという話であり、八幡の神(応神天皇)の威徳をたたえた神楽です。
 詳しくは不明ですが、この神楽に出てくる第六天の悪魔王の六という数字は人間の五感を超えた六番目の感性、すなわち思想と言われ、この思想が大陸から日本に入ってくるのを宮(誉田別尊)民(門丸)一体となって防いだという説もあります。、

八幡​

​海の神で知られる恵比寿こと事代主命は人々に

五穀豊穣・商売繁盛・大漁追福 家内安全・無病息災、夫婦円満・子孫繁栄

様々な福の種をもたらします。
そして今でも波穏やかな日には、磯部に出かけて釣りを楽しんでいるといわれています。
恵比須の滑稽で愉快な舞が喜ばれる演目です。

 

恵比寿
殺生石

唐、天竺、日本の三国を跨にかけて、悪事を働いていた悪狐が日本に飛来し、玉藻前と名のって鳥羽院の女官となり、虎視眈々と日本転覆を図っていた、しかし安倍の安成に正体を見破られ、那須野ヶ原へ逃げて行き、三浦之介、上総之介に征伐されます。

 

ですが、悪狐の怨念は凝り固まり,毒吐く殺生石となって、生き物に死をもたらしていきました。

この時、玄翁和尚が法華経の功徳により怨霊を封じ万民の悩みをのぞくという物語です。
 

 

 

世界をまたにかけて無世の民を惑わせ続けた金毛九尾の狐は、鳥羽院の時代に、とうとう日本に上陸してきました。
この悪狐は玉藻前という女性に化けて宮中に入り込み、天皇の寵愛を一身に受けていたのですが、陰陽師安倍晴明安親に正体を明かされて、ここ下野の国の那須野ケ原まで逃げてきたのです。
ふたたび玉藻前に化けた狐は、この地のお寺に宿を求めます。和尚は快く迎え入れ、もてなしの味噌を 擂り始めるのですが、正体をあらわした悪狐に食われてしまったのでした。 しかし悪狐退治の命を受けた三浦介・上総介の弓の名手によって、この未曾有の大悪狐もついに射止められてしまいます。

 

悪狐傳

鎮守将軍坂上田村麻呂は、第50代桓武天皇の勅命を受け、摂州鈴鹿山の鬼人征伐に向かいます。
鬼人の頭犬神丸は、手下夜叉丸を和田の里に遣わし、和田翁の娘
あやめ姫をとりさらいます。
折しも鈴鹿に向かう途中の田村麻呂によって、あやめ姫は助けられます。夜叉丸は立ち会いの後力及ばず、田村麻呂の家来になり、鬼人の住む岩屋に導き、合戦のすえめでたく犬神丸を征伐します。

 

鈴鹿山

時の帝の勅命を受け、信州戸隠山に住む鬼女・紅葉姫成敗に向かった中納言平維茂主従は、人里離れた戸隠山中で紅葉狩の宴を催す美しい女性たちと出会い、酒宴に加わるように勧められます。
美しい女性たちに心を奪われた維茂主従は酒宴に同席しますが、この女性たちこそ戸隠山の鬼女であり、酒を呑ませ維茂の命を狙おうと企んでいました。
酒に酔い、深い眠りに落ちた時、夢に八幡大菩薩が現れ、女性の正体は戸隠山の鬼女であることを告げ、神剣を授けます。紅葉姫は天を翔び毒蜘蛛の妖術を使い維茂を悩ませますが、維茂は神剣で紅葉姫を成敗します。

 

紅葉狩


平安時代中期、天慶の乱において平貞盛、藤原秀郷により、無念の最期をとげた平将門。
その娘、五月姫は父将門の無念を晴らさんと貴船の社に祈願をかけ、その満願の日、貴船の神より妖術を授かり、名を滝夜叉姫と改めました。その後、下総は猿島の地において、多くの手下を集め朝廷にそむき天下に災いをなしました。
そのため、朝廷により勅命を受けた大宅中将光圀は山城光成とともに、下総に向かい陰陽の霊術をもってこれを征伐する

 

滝夜叉姫

大和に古代日本の都が形創られるころ、朝廷の権力をめぐり、血で血を洗う戦いは耐えなかったのです。この戦いに敗れた一族は、葛城の山に逃げ、人なき人へと成り果て、いつしか土蜘蛛とさげすまされるようになったのでした。
時は移り、怨念の塊となった土蜘蛛の精魂は、侍女胡蝶に化け、典薬の守からの毒薬と偽って源頼光に毒を盛ります。 
ついに念願を果たしたとばかりに飛びかかる土蜘蛛に必死で対抗する頼光は、名刀[膝丸]で斬りつけ手傷を負わせるのですが、正体を見破られた土蜘蛛の精魂は、糸を吐きながら逃げ帰ってしまいます。 
頼光は四天王に、土蜘蛛退治を命じますが、この時膝丸の太刀を[蜘蛛斬丸]と改めて四天王に授けたのでした。
[土蜘蛛]数百年の時へて神楽の舞台の中で生き続ける怨念の炎は、拍手を遠くに聞きながら生き絶えるでした。

 

葛城山

中国唐の時代、終南山のほとりに住んでいた鍾馗という青年が、官吏の国 家試験に落第してふん死したが、その後、及第の栄誉を受けたので、感激してその霊が朝廷の守護神となり、いつしか疫病払いの神として祀られるようになったという伝説がありますが、神楽は素戔鳴尊の化身であり、鍾馗大神  と名のって民の命を奪おうとする異国の疫病の悪鬼を退治するという筋になっています。左手に持つ丸い輪は、悪疫の払いに用いるアシの輪(ちの輪)で、姿なき鬼神をこれでとらえ、右手の剣で征伐する意味。

人皇十二代、景光天皇の第二皇子・倭男具那命は、九州一円に強大な勢力を持って朝廷に背く川上帥征伐の任を受けて九州へと向かいます。時あたかも川上帥の館では新築祝いの宴が催されていました。
 倭男具那命は女としてその宴に紛れ込み、川上帥に近付き、彼に酒を勧めながら期を待ったのです。
 宴も佳境に入ったその時、倭男具那命は忍ばせていた剣を取り出して川上帥を討ち伏せました。川上帥は「大和において、あなたより強いものはいない。これからは「日本武尊」と名乗ってください」と言い残して絶命する。日本武尊の武勇伝です。

 

熊襲
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